2015年9月8日火曜日

俳句大学掲載エッセイ「鬼貫、万太郎、そして龍雨」

 図説俳句大歳時記」(角川書店)に鬼貫の句を見つけて、万太郎とそっくりだ、と素朴に感じた。 

   秋風の 吹きわたりけり 人の顔   鬼貫 (明和5・鬼貫句集)
   あきかぜの ふきぬけゆくや 人の中 万太郎(昭和5、草の丈)

 二つの句を比べてみると、「野径で遊ぶ」という詞書がある上島鬼貫の江戸俳諧は、潁原退蔵が昭和11年ごろに、、鬼貫の名句のひとつ、としている(「名句評釈」)。少し諧謔がある野の風景だ。一方の万太郎の句のイメージは、銀座の通りの中の寂しさだ。映像で頻繁に用いられているほど元型的だ。

 実際のところ、そっくりだ、というのが唯一の事実だ。万太郎が鬼貫をどの程度知っていたかはわからないけれど、「古句十句」という短文もあるから、古俳諧には親しんでいた。鬼貫を発展解消させて生まれたかのような万太郎の句はやはり、ここちよい名句だ。

 私は増田龍雨の直筆短冊を大量に入手したので、その縁を生かそうと、龍雨そのひとと作品を調べているところだが、年少の万太郎が師であり、雪中庵宗匠十四世を継いで途絶えた年長の龍雨が弟子という関係だった。「増田龍雨句集」序(昭和5)で、万太郎は次のように書き、祝った。

 ……白状すれば、わたしは、屡々龍雨君をわたしの作の中につかつてゐる。
 普通に読むと、芝居の登場人物としてモデルにした、という意味になるが、句のモデルにもしたし、龍雨の句をいただいたこともある、という意味にも取れる。万太郎は、龍雨に濃厚だった江戸のにおいを評価していた(このあたりは、加藤郁乎がくわしい)。当時、万太郎自身がが龍雨の句を楽しんだ、とあっけらかんと書くぐらいなんだから、当節の、まねるだのぬすむだの著作権侵害だの騒ぎ立てるものではないのかもしれない。

 先人の句を手本として眺めたときに、そのバリエーションがあとからあとから沸いてくるのを、書き留めるのはとてもたのしいものであるし、万太郎の名句は、鬼貫の一句を目にして、自分のセンスの中で、置換せざるをえなかったのかもしれないバリエーション、と思うことにした。

2015年9月6日日曜日

物語を掘り起す

 「物語」はどんなひとにも、どんな風景にも、どんなモノにも隠されている。斜陽な地方新聞社で、取材の仕事を続けてきた私には、それがよくわかる。めだたなくても地味でも、すべてに「物語」がある。謙虚になって、畏敬をもって聞き込んでいけば、うつくしく、不思議な物語が浮上してくるのだ。「物語」は必ずしも書物や言葉として存在しているわけではなく、集団の記憶として、土地の印象として、そして象徴として、時には、地層の鉱脈の中に、残されているのだ。

 だから、歩き回り、聞いて回り、文献を漁りつつ、それら「物語」の断片を拾い集め、新聞の上で形にしてきた。うずもれた物語を探しだして、真実にたどり着くと、「物語」が微笑んでくれた。「よく、ここがわかりましたね」と微笑んでくれた。シンクロニシティが作用することもたびたびあった。それはデスクも編集長も広告営業担当も知らない私だけの秘密と充実だった。「物語を掘り起こす」。それは、私がこの世でうまくいった唯一のことかもしれない。

 老いがちかづいている私は今、「奥常陸」で、出自を、出自の「物語」を探している。那珂の北方は、今も古代と中世がひそやかに息づいている。というよりは、古代と中世と近世と近代と現代が平行して過ぎている。なぜ、私の名刺を見て、「佐竹」とあるだけで、奥常陸の人々は、そんななつかしいものに出会った表情をするのか。青二才なのに、親戚でもないのに、私をしみじみと見て、遠くの過去を見やるような目をするのか。そのようななつかしさ、無意識の古層の根にある、「奥常陸の物語」を掘り起こしたい。俳句で表現したい。そうすれば、大祖(おほほや)と出会うことができるだろう。長い漂白にピリオドを打つことになるだろう。

 繰り返す。「物語」はひとにも、風景にも、モノにも隠されている。、今の私の仕事は、「俳句によって、隠れた物語を掘り起こす」ことだ。

2015年9月5日土曜日

東北行偶々905


    東北行偶々(栗駒から秋田へ)

餘執あらむ判官森は冷へゐたり
栗駒の秋に遮那王眠りけり
秋天をつきぬけ無念八百年
夷人、号ヲ立テ太郎ト曰フ、夏果つ 
東鑑に古き血みへたり秋神楽  
此処よりはばてれんの道鯖の雲    

茜葛当薬竜胆籠あふる     
鉈砥いで黍の嵐の中にをり
實石榴も幹も忽忽古家かな 
走り蕎麦強き山葵もありぬべし

鑿砥いで砥いで無心にいたりけり
秋暮れてトロツコ吸ひ込む楢林(小川郷にて)
風船葛しほれてもなほ透ゐてをり
あいくるしいもうとウラン春の雲
銀漢や阿頼耶識はすぐそばに