2016年8月31日水曜日

地貌論



宮坂静生「俳句原始感覚」を読む。

地貌を詠え、と。
縄文の狩猟感覚を取り戻せ。
雲の動き、風の方向から、
十里先の、気象と獲物のありかを悟ること。
生き残る知恵と感覚を取り戻せ。

これが宮坂さんの地貌論だ。
人為の加わらない生の山川草木にたえず触れよ。
地貌の荒々しさに目覚めよ、というのだ。
芭蕉の、佐渡の名句は、
羽黒山での九日の修験修業を経て後の覚醒が生んだもの、と考えている。


  季語を象徴的に用いる―――。

  この用法が芭蕉以来、
  中村草田男以後も、主要な方法なのは周知である。
  季語とほかの語が照応したときに、
  象徴の働きが生まれる。
  象徴のために
  季語の本意が突き刺さる、ようでなけれなばらない。
  季語と、季語以外のものががっちり四つを組む。

と書いている。
これは金子兜太の書いていたことと同じだと思う。


宮坂さんは、信州大学医学部の教官で、信大学生俳句会の指導者だった。
国語学が専門で、俳誌「岳」では、国語論を連載していた。難解だった。
わたくしは信州大学で学生をし、あがたの森のヒマラヤ杉の林の中の思誠寮に住んだ。
思誠寮生の間でときどき、俳人宮坂さんの話が持ち上がっていた。

ある昼、人文学部棟前の芝生で、キャッチボールをしていると、
弁当を食べていた憧れの女子、塩入さんに向かって、
俳句会の男子学生が入会勧誘していた。
彼はすでに、俳人に相応しいような知識と雰囲気を持っていたのを覚えている。
知の場所を得て、知に集中することの強靭な、学生だった印象がある。
信大学生俳句会からは、
後に成城で博士になった小澤實さんや、岳編集長の小林貴子さんなど優れた俳人が出た。













2016年8月27日土曜日

野葡萄


遅速(おそはや)も 野葡萄の實の 円(つぶら)なる
野葡萄の 遅速(おそはや)やがて 濃むらさき
秋水(しうすゐ)を 隈(くま)しき峪が 落とし去(ゆ)く
綬(ひも)結へば 解くは非ずか 花芙蓉
夕槿 蕾を散らす ばかりかな       …蕾の暗喩とは。

鈴虫の 鈴は闇より 生(あ)るるるか
名を持たば 卑草にあらず 末枯野(うらがれの)
秋立つや 出世稲荷が 門前は屑屋

瓦解せる こころの拠れる 柱とは 此の大蔵経の 漢葯の海
太古より 鐵(まかね)吹きたる 澤みちの あかあかとして 夏昏れむとす
鳥海に降り 鹿嶋へ下ル 饒速日命(ニギハヤヒ) 物部の墳は 青田に沈む
なつぎぬに 隠るる乳房 重たけれ 温みのうちに いのち爆ぜをり 
饒速日命の はるけき裔(すゑ)の 水脈(みを)滅びず こけむす石の 鎮もりてあり

                                     (鯉淵学園構内にて)













2016年8月26日金曜日

物象感

「毎日俳壇俳句作法」(1981)の、金子兜太の項を読む。

物象感については、
自分のしていることと同じかもしれない。
特徴をつかむには、古訓、歌語事典などをよく読むのも方法。
金子兜太の「造型論」は重要だ。
それは改めて調べる。

以下抜粋。有用。

「実を書く」。
勢いにまかせたあだ花ではない。
底力のある心意を書きあらわす。
思い感じたままに、なまなましく俳句にぶつける。
しかし、
言葉に工夫して、上滑りしないようにする。


「一語一物」。
モノをよくみて、よく感じて、これを確実に、鋭く捉えねば駄目だ。
一個のものとしての特徴(物象感)ばかり見る。
濃厚に感じた季感を、物象感のほうから生かす。
季感をひとつ選び、それのモノとしての特徴を見つめながら想念を広げる。
意外なひらめきがあるものだ。


「日常実感」。
日常にある心の実の姿、これをためらわずに俳句に書き表すことで、
自分の言葉で俳句が書けるようになったと思っている。
慣用化された言葉、叙法、さては韻律とは違うそれらが徐々に生まれてきた。
俳句の喜びはここにある。



ざっと読みながら、
次の加藤楸邨の言葉に、実は、金子の本性があると思う。
重なる。

「句を詠むときは、
突き上げてくる一種の暴力に乗って、
一気に言い切ってしまう以外に詠みようがない。
頼りにするのは、
このデモンという暴力だけである」













2016年8月16日火曜日

界 隈















靑葡萄


緑玉(りよくぎよく)の ゆらにこぼれぬ 皿のうへ  …ゆらは、玉の觸れる音の意味。
靑葡萄 水を湛(たた)へて 月ノ宮
綠玉は 衝(つ)き合ふてをり 靑葡萄
處女あうら 踏みしだき酸(す)ゆ 靑葡萄
その中に 種孕(はら)みゐる 靑葡萄
靑葡萄 靑靑靑の 綠かな
夏蕨 よき水深き 峪(たに)に落つ          …大子町男体山道にて



                               (鯉淵学園産ヒムロット種)













2016年8月15日月曜日

俳論



文学は、資料を中心とした訓古注釈を主とする。
論は、資料をして語らしめるべきだ。
現代俳句を書くなら、江戸俳諧、俳句史を理解しておかねばならない。
                      (復本一郎)

俳句評論で大切なことは、
季題がどのように働いているか、
遣われている語彙が何を表現し、どんな雰囲気をかもし出しているか、を述べることだ。
句が作り出された場所を示し、
どのような付加価値が生じるか、
作者の文芸意識、句歴がどのように作用しているかを書く。
                      (大輪靖宏)

虚心に作品の内容、作者の文学観、背景を探り、本質に迫ることだ。
優れた見本は小林秀雄の西行論、山本健吉の芭蕉論だ。
いずれも分析力、想像力を必要とする純粋な作品評価だ。
だからよい作品を見つけ、よい理由は何かを考えることに尽きる。
                      (坂口昌弘)

俳句評論復活のかぎは、俳句圏内にはない。
小林秀雄の芸術論や、吉田秀和の音楽論に匹敵する俳句論を、
超俳句的視野から書くべきだろう。
                      (岸本尚毅)

批評とは、作品を既存の見方と異なるものと示してみせることだ。
事実を調べることで作品の真実が見えるようになる。
                      (今泉康弘)


                              (紫苑、別名十五夜草)








2016年8月14日日曜日

茂吉


斎藤茂吉は、強い知力だ。
解読しては、次から次へと浮かんでくる気づきを、すらすらとつづったに違いない。
だから、文体が膨らむようにのびやかで豊かだ。

斎藤茂吉の大著「伊藤左千夫」を読む。
古調、万葉調の歌人伊藤左千夫への関心と同時に、
歌人茂吉の、息の長い文体にも惹かれた。

まず思い出したのは、幸田露伴の「評釈猿蓑」。
全ての句に評釈した。長短はあるが、
江戸の考証を含めて、俳諧を真摯に学ぼうとする姿勢が驚異だ。
露伴という強い知性を感じる。

金子兜太は種田山頭火の評釈(金子兜太全集第3巻所収)をした。
金子の人間観察は、常に非情で、容赦ない。ゆがんだ側面ばかりを見た。
それで、山頭火を叩き壊した。
周囲の人々の、弱さ、欠点、社会下層に目が行き過ぎて、これもつぶした。

現代俳論に、読みきれないものが多いのは、作家をリアルに知らないことからくる。
作品論を構成するにあたっても、自らの印象や既読のエピソード、伝承から類推する。
書き抜く根拠が弱い。
だから途中で、読者に放擲される。

たとえば倉橋羊村のように秋桜子の傍らにいて、
その作家とともにした時間を糧に、書くべきだ。
少なくてもインタビューは、最低限必要だと思う。
作家の言葉を拾って、作品論を書くべきだ。

たとえば「西川徹郎論集成」には、実に多数の書き手の論が載せられているが、
正直、読者不在すぎて、読むに耐えない。
ひとつの句を、読み込む書き手が少なく、
不毛な装飾語ばかりが連続して、もどかしい。

レッテルを貼ろうとするものの、レッテルの根拠が積み重なっていない。
まるでサヨクのくだらぬ抽象論で、
文章修行もできていないうえ、読者に理解してもらえる文になっていない。
シンプルに、本質を説明できない。

仁平勝の評論「俳句のモダン」にしても、
そもそもが、「モダン」とは何かが、まず希薄で、説得力に欠ける。
モダニズムという一大文化潮流をどこまで調べたうえでのタイトルなのだろう。
現代俳論の多くは、書き手が抒情的なので、つくづく残念な気持ちにさせられる。

しかし、茂吉の「伊藤左千夫」は、
経年5期に分けて、一群の短歌解釈を、八百字前後でまとめ、
延々と書き続け、晩年の作品まで繋げている。
書き続ける粘り強さ自体も驚異的だ。

評釈にあたっては、資料、周囲の証言によくあたっている。
そのうえで、古調の影響、正岡子規との交流ぶり、
根岸短歌会でのエピソード、当時の評価など織り交ぜている。
茂吉は耳がよく、伊藤左千夫の言ったことをよく覚えている。

これらがわたしを納得させてくれる。
同書には伊藤左千夫の歌論が一章あって、これもボリュームだ。
そのほか上田秋成などの韻文研究も載せられている。
とりあへず、引き続き、何度も読み返す。
茂吉の文体のリズムと、伊藤左千夫の語彙をつくづくと味わいたい。




               (塚本邦雄自筆落款 限定222部歌集「魔王」)








2016年8月7日日曜日

偶 々



黒葡萄  一粒ごとに  腐(くた)したる
昏れてなほ 夏の穂群れの 靑深む
来し方や ひめじよおんやら 卑草群れ
三百円の 国産檸檬 一個哉
立ち止まらぬば ならぬ皇帝 ダリヤ咲き

夏の朱灯(ひ)や 龍之介すら 血迷へる
雨に裂くる 弱さも西洋 酸桃(ぷるうん)かな
丹生(にゆう)の地の 水銀傳説 山葵(わさび)咲く
ここいらの 麻畠跡が 葛許り

仁王立てば 尾骶(びてい)より涌く 初嵐
神宿る 巖(いは)も顕(あらは)に 初嵐
ふくらはぎを なまぬるきもの這ふ 初嵐
勾玉(まぐあたま)の やうに曲がりて 初嵐

夏昏れて 遁科屋(たんかや)てふ アジイル迄 
無縁とは もとより切れし 夏の闇
夏昏れも 灯は遠し 無縁ひと
公界(くかい)棲みに アジイル棲みに 果てり夏
炎天に 法師は大蔵経(だいざうきやう)を 蔵ひけり

夏蕨 鐵(まかね)吹く澤 赤き底   
葡萄涵(ひた)せば 遠雷のして 水冷たし
赤蜻蛉 ヒトボツチなる 崗降る           
常陸(ひたち)とは 出水に涵(ひた)る 低きかな
なつぎぬの 翳に一群 桔梗かな

 さふいへばあの夏の。

大人皆  戀を鎭めて  遠花火                    
告(こく)るまで  蝉の時雨の  永きかな 
夏のポール  マイラブあのひとと  譯したれば 
告白に  少しとろけて  夏の風邪
あの夏の  はじめてのチュウ  戀走る        …キテレツ大百科 

                           











2016年8月6日土曜日

川内倫子


ふだん雑誌は買わない。
柴田元幸編集の雑誌「MONKY」最新号を購入したのには、二つの理由があった。
ひとつは、「短編小説のつくり方」という特集で、
柴田や村上春樹の翻訳が読めるうえ、短編小説の方法が学べる予感がしたから。
そうだ、わたしは短い空想小説なら書ける、とわかっている。

二つ目は、用賀に住み、慶應に通う子どもへの、仕送り封筒の付録、にするつもりで。
仕送りはいつも何がしかの雑誌と一緒に送っている。
読んでいるかどうかわからぬ。
ファッション雑誌や「東京人」、「散歩の達人」、「早稲田文学」、など。
次はスティグリッツの大著「経済学」がいいかな。

だが、持ち帰ると、購入した三番目の理由があることがわかった。
特集の余白を埋めていた、1972年生まれの写真家、川内倫子の写真だった。
マットな紙質のうえで、淡く、炭酸ソヲダのような風景写真。
なおも写真の粒子が光っている。滴っている。
単純なハイキー写真ではない薄い青の、その淡さを、味わうことになった。

川内の写真は以前から知っていたが、
以前なら、その明るさ、透明さが、もどかしかった。
今回は違う。無意識に吸い寄せられ、味わってしまった。
光の一粒一粒にまで浸透していくような透き通ったまなざしだ。
岩井俊二の映画のようでもあった。

秘密を知りたくて、いくつかのインタビュー記事を読む。
ローライフレックスf2.8使いで、自らカラーネガからプリントをする。
川内は料理をするように、素材を慈しみ、丁寧に、繊細に扱う。
光の粒子のような滴りは、フィルムによるものなのだ。
デジタルではなかった。

  写真に写らないものを見たい、という矛盾した感情があります。
  それを写真という媒体で、抽象的に表現したい。

  どうしても撮りたいと思うのは、自分の無意識が、何かをキャッチしているから。
  とりあえず撮ってから、後でプリントしながら考えよう。
  毎回、毎回、その繰り返し。

川内の写真に引きつけられ、雑誌を買ったわたし。
写真が、無意識な行動に走らせたという驚き。
写真は人を動かす。
「世界舞踊祭」以降、09年から仕事としての撮影から遠ざかっていたが、
再び写真が、近づいてきた。

中央重点測光で、+1から2の補正かもしれないな。後ろを飛ばしているのは。
プリント時に露光調整しているなら、技術的に届かないところにいるな。













2016年8月3日水曜日

古い土地の名前



大子には金、鉱山にまつわる地名がおびただしい。
奥久慈の産金は西暦800年前後から行われている。
そのため、地名には、産金の名残がある。

たとえば、大子町西北の槙野地に「百合平」という土地がある。
ここは砂金をより分ける場所だったのではないかと言われている。
百合平だが、本来は淘(ゆる)という字を当てていたのではないか、という説がある。
「よなげる」と訓できるそうだ。
「ものをより分ける」「不純物を分ける」という意味らしい。

近在の金砂神社は、西金砂神社を分祀したのでないらしい。
金砂が採れる場所だったらしいのだ。
本殿に佐竹の紋があるのは、中世佐竹氏の産金振興の名残だ。

一方、同町頃藤には6つの「金」にまつわる字がある。
鈿(でん)金、
金掘子、
金山、
金山河原、
金山平など。
古代から中世にかけて、名つけられた土地の名前だ。
ひとつひとつをめぐるのもきっと楽しいだろう。

これらのことを教えてくれたのは、
菊池国夫さんの「奥久慈・大子町の地名 地名で読む郷土の歴史」だ。
力作だ。
古い言葉が、奥久慈の土地に残っていることを教えてくれている。

地名はいったい、いつの時代までさかのぼるのだろうか。
アイヌ語を、
古代朝鮮語を、
神道、仏教を、
中世金鉱山採掘期と推察される土地の名が、
それぞれあった。
不都合な史実を封じ込めている土地の名もあった。
「赤」とあれば、丹生(水銀)が鉱床にある土地だと、
「金」があれば、たしかに砂金が採れた場所なのだろう。

 江戸期に水戸藩士だった加藤寛斎が書いた地誌『常陸国北郡里程間数之記』 にならい、
菊池国夫さんは丹念に歩いては採取している。
歩いては「大和言葉語源辞典」「古代地名大辞典」「地名アイヌ語辞典」などをひもとき、
合致する言葉を探り、地名と景色とを併せて眺めている。
谷川健一のいうように、土地の名は、情報だ。
古ければ古いほど、情報が保存されているもののようだ。
風景を足早に通り過ぎるのは仕方がないが、
地名を探る手がかりが、上記のようにあれば、土地への理解は深まる。

カムイ-イワ-キという興味深い名があった。
分解すれば、アイヌ語で、神の-住む-土地。
たとえば、磐城は、人の住むによい土地、という意味なのだろうか。
確かに、温暖な気候の暮らしやすい土地だった。

頃藤から大円地の方向には、カタカナでヒトボッチという地名もあるそうだ。
むろんアイヌ語だ。
2万5千分の一の地図で確認できるそうだ。
富士山を見晴るかす信州塩尻の鉢伏山の頂上は高原だ。
高ボッチと呼ばれる。
常澄のダイダラボッチは大男だ。
ヒトボッチは高台かも知れぬ。小高い山かもしれぬ。

かつて、その土地に暮らし、名をつけた人々がいた。
その土地には何かがあった。
もしかして、いまもそこに何かがあるのかもしれない。
土地土地の古い名前に隠れたものを見つけよう。