2016年12月30日金曜日

語彙



岡井隆の「現代短歌入門-危機歌学の試み」(1974)を読む。
第三章「語彙と模倣」は、作句の方法として、興味深い内容だった。
岡井隆が叫ぶように書いている。

 語彙を拡げよ。
 月のうちの何日かをそれに労せよ。
 今は黙って、読み漁り、聞き耳を立て、
 頭へ、ノートへ、単語や短句の山を築くこと。

重要なのは、日常語の習慣的な世界を、
語彙の側面で超える作業が必要だということだ。
非日常語を叩き込んで、臨戦できる準備をつくること。
加えれば、文語訳聖書を座右せよ。
そのことが何をもたらすかと言えば、

 その短句や語が、
 ある連想または思想を媒介として結び付けられ、 
 句となり、文となり、歌となる。
 この過程に絶対的に信頼を置いた作歌法もある。

その作歌法とは、
拾い集めた短句を、意識的に、
七五調に整えて、併記する。
それらの断片を、
個人の主題のもとに、統合させる。
こうしたブキッシュな方法が、
マラルメを模したような言葉の錬金術となり、
新鮮な歌が出来上がる。
再構成であるものの、
作者ならではの「連結法」が、個性を生むという。

岡井隆はこの手法は最後まで残るはずだと言っている。














2016年12月29日木曜日

恩田侑布子の俳論

ネコヤナギ紅葉


俳論は意識しているので、Bunkamuraドゥマゴ文学賞を取った、
恩田侑布子の「余白の祭」(深夜叢書社)をテキストにした。
恩田が40ー50歳代の総合誌や結社誌に載せた評論、エッセイ50本以上を集めている。
俳論も取り合わせをすることで妙味が出るようだ。

たとえば「冬の位相」の項。
雪舟の冬の山水画に、蛇笏の句を展開するアイデア力に驚いた。
雪舟「冬景図」への緻密な解析を、
実に執拗に繰り返し、
恩田に言わせれば俳諧の祖とする荘子や
浄土宗の時間概念を織り交ぜた後、
飯田蛇笏の冬の句のいくつかを、
雪舟の冬の山水風景と絡ませていく。

 蛇笏の句は、丹田の力そのものだ。

と締めた。
蛇笏の冬の句が、雪舟山水を背景にきりりと立った。

高屋窓秋の句については、
自己放擲の美しさと自意識の弊を背景に、
自意識の過多にへの嫌悪、自意識を放擲した句の受容力を強調しつつ、
三島由紀夫の「豊穣の海」の最後の場面を象徴として取り上げて
高屋の句と重ねあわせた試みは見事だと感じた。
いわゆる近代的自我、自意識の弊は同書いたるところで書いている。
 
 ぼくは元来、自分がどうしたこうしたという句は、
 少しも好きではない。

という文中採用した高屋窓秋の言葉は、恩田がいつも感じていることなのだろう。
高屋窓秋の句が近代的自我から遠いのだ、と教えてくれた。
こうした取り合わせの手法は、句を浮かび上がらせるに有効だと思った。
しかしながら、
「二物衝撃」の手法だと、ドラマツルギーがない。
三段論法であったり、弁証法的止揚はないから、論とはいえないかも知れぬ。
俳的エッセイと位置づけるべきものかも知れぬ。
だとすれば、求めるものとはずれる。

一方で、恩田が実現したいと思う俳は、

 五七五の極小の詩形は、
 本来大きく豊かな世界を盛ることがふさわしい。

 宇宙の気と人間の息が火花を散らす。
 あるいはまぐあう。
 このとき一句の底が抜ける。 

 俳精神とは。
 後生大事におのれを抱え込まぬことだ。

などの言葉に表れている。
大きく豊かな世界とは、肥大した自意識を超えたところにある、宇宙の律動だと感じる。
それは季節の循環となってあらわれている。
深く観照したり、全身で感じるとっているものを
うまく言葉にできていないもどかしさも同時に、感じているようだ。
よい俳人はよい哲人であらねばならぬ。

自我にまみれた句がいやで仕方がない、と叫んでいる書だ。
きびしい文による、きびしい内容の書だ。
抒情とはつくづくと迂闊なものだと思わされた。
ただし、新聞文章を修業したものからすれば、
わかりやすさは必至。
力んではいけない。














2016年12月26日月曜日

餅を食べぬ家


奥常陸では、正月に餅を食べない家がある。
その謂れは、戦国時代の終わり、佐竹氏の秋田左遷にある。
佐竹の血を引く家々のうち、常陸国に残らざるをえなかった家は、
その時から、餅を里芋に変えた。

常陸大宮の宇留野さんという家は代々そうだった。
宇留野氏は中世に遡る佐竹の血族、というのは自明だ。
「うちの父の代まではそうしていた」と、娘さんから話を伺ったことがあった。

民俗学でいうところの「餅なし正月」だ。
安田喜憲編「山岳信仰と日本人」にくわしいが、
正月の儀礼食を餅ではなく芋にするという地域が点在するという。
門松も立てない。

坪井洋文は、「稲作文化以前の名残ではないのか」という説を立てている。
芋への価値は、米をしのぐ、という意味だそうだ。
文化、暮らしには、重層性があるのだということらしい。

五来重はたしか、
米を主食とするひとびと、そうでない雑穀を主食とする人々が、
実に長い間、列島に分かれていた、と言っていた。
むしろ、米を悪と捉えてかたくなに拒否したひとびとの流れは、
山の民だったという。

千葉徳爾は、非稲作民の古い文化の名残というよりも、
「餅を食べぬ家」とは、
世間一般とは異なる「由緒正しき家柄」を誇示する特殊性だとしている。
奥常陸での由緒正しき家柄、はいうまでもないことだ。

それにしても、
当主の決意が少なくても四百年も持続している。
たった一つの決意、誓いがだ。
そのとき血族に起こった出来事の重さ、を感じざるを得ない。
ただ、なぜ正月、なぜ餅なのかはわからない儘だ。

わたくしのささやかな決意は、
五百年後まで、影響するのだろうか。














2016年12月25日日曜日

枕詞



枕詞は古代すでに古語だった、

と白川静が書いているが、
自明のことのようでも、
わたくしには新しい。

高橋睦郎の歌集「爾比麻久良」は全詠、枕詞を使っていた。

  いまでは顧みられることのない言葉の古枕を
  記憶の蔵から取り出して、そのうえに
  現代の痩せた夢を預けてみよう。

と書いている。
加藤治郎は、

  口承の時代において、
  神々や土地の名、
  ある風景や感情を喚起した。
  呪術的な力に転化させる力を秘めているように思えてならない。

と書いている。
ふたたび、
枕詞は古代すでに古語だった、という白川の言葉はやはり驚く。
奥常陸の風景を見にゆくたびに、
枕詞となった古語たちが、
どのように人々の意識、思考、感情、行動を
変えていったかをついつい考えてしまう。

 ひさかたの は「天」「光」に
 なるかみの は「音」に、
 あらたまの は「年月」「春」に、かかる。
 そらみつ は「大和」にかかる。

枕詞の中に、季節の循環と律動を伺うことができる。
高橋の言う、ひとびとの記憶の「蔵」を開けてゆく鍵に違いない。
まだ言葉が口承だったころの、
生きるに重要な言葉だったのかもしれない。
象徴としての枕詞。

わたしが呼び起こしたい記憶の蔵とは何だろう。
もどかしい。










2016年12月22日木曜日

偶 々



年末年始は、ガストン・バシュラールに没入したい。
静神社、西金砂神社、鹿島神宮を詣でる。
及川馥先生にはぜひ一度お話をうかがいたい。
写真はルミエールを捉えた瞬間を。
句集編集二百句と写真8点。
後ろにエッセイ1編。
組版も十分に吟味する。



  偶 々

ひさかたの冬の北斗へ磐梯(はしご)
名を知れば夢想死ぬるか冬銀河
見へぬ穩(おん)桃の實擲げつ夷(ひな)を往(ゆ)く
さゐさゐとそらさゐさゐと小六月









2016年12月17日土曜日

長野まゆみの方法

苺紅葉
雑誌「文芸」最新号の長野まゆみの「銀河の通信所--前編」が面白いので、
どこかの雑誌に、長野まゆみの物語のつくりかたを語っていたはずだ、と。
思い出した。
そうだ。「現代詩手帖」の特集のなかだった。
創作方法の一部を披瀝している。
少し、引用しよう。

 小説を書くとき、
 最初の段階で、こんなふうにノートをつくるんですね。
 まずメモ帳に、思いついたことをなんでも、全部書いていって、
 それをもとに書き起こしていきます。
 
 ノートには好きな言葉、使うかもしれない言葉や情報を一通り並べて、
 とくに気になったところは色をつけたりしながら
 かなりイメージの固まってきた言葉を書いていきます。

 メモをとり、ノートをつくって、
 最初の一行目をキーボードで書く瞬間に、
 ほんとうに世界が変わるんです。
 それで、新しく開いた扉の情報をふたたび
 集め始める、という感じなのです。
 
              (現代詩手帖2016年10月号96頁)

また、

 記憶のどこかにある、
 何かと触れ合うもの、
 というのが、私にとっての詩です。

 こどものときの私にとっての詩は、
 全体を鑑賞するのではなくて、
 言葉の蒐集、収穫作業だったのだと思います。

とも語っていた。


思い出す、のは
生き残るための技術、か。











2016年12月15日木曜日

二物衝撃


取り合わせ、または配合の句とは、
一句の中に、
二つの事物(主に、季語と、無関係な別のモノ・コト)を取り合わせて、
両者に相乗効果による観興を引き起こす工夫を指す。
成功すると、「二物衝撃」と呼ばれるそうだ。
「上手」と芭蕉はよんだそうだ。
ソシュールの言語学、構造主義も読まねばならないとは思うが。
もうあまり、時間がない。

前提に、
  ①切れ、で分かれる。
  ②無関係。
  ③独立。
  ④ひどく離れている。

その方程式は

  二物衝撃 = 「季語 + 季語ではない別のモノ、コト」

らしき句を拾ってみた。余白で分ける。

 蛍火や 心許せば膝くづし             鈴木真砂女
 紅梅を 喪明けの色としてみたり     
 春昼や キャベツ一枚づつはがし       
 花冷えや 茄子にトマトに季節なく  
 
 おでんやが よく出るテレビドラマかな    吉屋信子
 春の宵 鋏の小鈴よくひびき           
 稲妻や 将棋盤には桂馬飛ぶ 
        
 夏井戸や 故郷の少女は海知らず     寺山修司
 秋風や 人差し指はだれの墓        
 たんぽぽは地の糧 詩人は不遇でよし 
 
 綿虫や 路はミとチでできてゐる        拙

いかがだろうか。
季語が、なんでもよくてもよいと思われるが。
ただし、それぞれの句集を紐解けば、
取り合わせは、決して多くないことがわかる。
表現の方法はいくつもあるのだろうけれど。

取り合わせは「対比」かもしれぬ。
明暗
色彩
遠近
象徴。












2016年12月13日火曜日

偶 々

12月の蠟梅の黄葉
 「文芸」最新号で、長野まゆみが、「銀河の通信所」(前編)という小説を載せている。
宮沢賢治の作品に登場する架空の人々を、速記取材班がインタビューし、
賢治の人となり、あるいは賢治周辺のモノを描く。
第1回は、岩根橋発電所のガルバノスキー技師。
第2回は、イ^ハトーブ《博物局》のキュースト氏。

  偶 々

冷へゐたるカンブリア紀の山の尖(せん)
イリジウム降る白亜紀の山眠る
蠟梅の黄は冬野にもめぐるかな
緒(を)ふてまたあらたまる日のひかりかな
明丹てふ産金の渓みふゆづく
















2016年12月10日土曜日

吉屋信子の俳句


かつての毎日新聞夕刊が好きだった。
文芸と美術には看板記者がいて、長い批評を書き、読み応えがあった。
やがて、短い年月だったが、同新聞社の末端で編集の仕事をした。
看板記者のデスク、それに夕暮れの皇居のお堀をよく眺めた。

ときどき、作家がエッセイを長めに書くこともあり、それも楽しみだった。
川本三郎が一度、吉屋信子の、独特の少女の世界について書いた。
読後の余韻をよく覚えている。
「吉屋信子句集」(東京美術 昭和49)を読んだ。

 金塊のごとくバタあり冷蔵庫

屈託のない句に微笑む。
吉屋信子の少女世界が、句にもよくあらわれているようだった。
久保田万太郎の

 パンにバタたっぷりつけて春おしむ

をすぐに思い出した。

読めばすぐにわかるが、快活な、子どものような都会詠だ。
文人との交流が深く、温かいものを感じる。 
鎌倉に住んで、虚子や星野立子と交流したほか、
銀座のいとう句会などへ出かけていく様子もわかる。
高濱虚子とのやりとりが笑わせてくれる。

 虚子 「時として平凡陳腐で箸にも棒にもかからぬやうな句が出来るのであるが」
 吉屋 「はい、それが目下の。私の句でございます」
 虚子 「それがたまたま或る物にふれると、忽ち才気煥発して立派な句になる」
 吉屋 「なかなか煥発いたしません」

中村汀女や滝井考作の序文もふるっているし、
いくつもあるなかで高木晴子の吉屋への追悼句が、
吉屋の幸福な文学の人生を、尽くしたように感じた。
女流文人の幸せだった作句生活がこの句集にある。
なくなるまで、少女俳句、だったのかもしれない。










2016年12月4日日曜日

神仙体

ふたたびブルーベリーの紅葉。


しばらく前に、雪舟の偽落款のある山水画帖24枚が手元にあった。
偽落款ではあったが、古さは室町から江戸初期だった。
狩野探幽の極めもあった。
中国北宋あるいは元の、
禅と神仙隠遁思想を背景とする「瀟湘八景図」を主題とした24枚だった。
画風は夏珪に似ていた。描いていたのは気象だ。
儀落款ではあったが、本物だった。
なぜ本物か言えば、
その後時代を下った山水画の数々を、
美術市場、展覧会で眺めるたびにまったく気に入らないのだ。
単に構図を模倣しているだけなのだ。没入できないのだった。

一度本物を知ると、こうなる。

さて夏目漱石と高濱虚子は「神仙体」なる句をいくつも作っていたようだ。
このことを知ったとき、真っ先に偽雪舟の山水画帖の世界が頭に浮かんだ。

 この神仙体の句はその後村上霽月君にも勧めて、
 出来上った三人の句を雑誌『めざまし草ぐさ』に出したことなどがあった。

 神仙体云々のことは既に前文に書いた通り、
 漱石氏と道後の温泉に入浴してその帰り道などに春光に蒸されながら
 二人で神仙体の俳句を作ったのであった。
 
 そこで一緒に出かけてゆっくり温泉にひたって、
 二人は手拭を提げて野道を松山に帰ったのであったが、
 その帰り道に二人は神仙体の俳句を作ろうなどと言って、 
 彼れ一句、これ一句、春風駘蕩たる野道をとぼとぼと歩きながら句を拾うのであった。

                                (高濱虚子『漱石氏と私』)

実際どんな句かはわからない。
山市晴嵐、遠浦帰帆、漁村夕照、遠寺晩鐘、瀟湘夜雨、洞庭秋月、平沙落雁、江天暮雪。
このような主題の句は漱石にも虚子にもいくつもあるのかもしれない。
神仙体は大観や春草の朦朧体につながっていくようでもある。










2016年12月3日土曜日

偶 々

ブルーベリーの叢
らせんして銀雨しづかにはじまりぬ
木螺(みのむし)も黒姫山も動かざる
百年の大銀盤なゐ哘(さそ)ひたり
玄冥のカドミニウムの杳さかな
寒昴聖なるものの名を探せ