2017年1月30日月曜日

偶 々

千波公園1月30日

地の底の いづこくれなゐ あるやとか
彼岸より 此岸へ緋いろ 來たるらむ
ふたたびと はるくれなゐは めぐりたり
くれなゐの 気息吐きたる むめ辺り
昏れてなほ くれなゐほのと きさらぎは
さきだちて はるもののふが 祓ひたる
きさらぎや くれなゐいよよ 膨れたり
きさらぎの 地の靜けさの なかにをり
零(ふ)る雨に くれなゐ萌ゆる ばかりかな
くれなゐ萌へ 一つ目小僧 山降りぬ
            ……一つ目小僧は、山の神の零落。
物知(ものしり)も 鬼知(ものしり)もさふと 春あるく 
           ……古代、ものしりとは霊界を知るひとを指した。
春は楕円 みがきおはせる 明玉(あかるたま)
           ……クシアカルタマ(櫛明玉命)は出雲の玉造りの祖。











2017年1月27日金曜日

一つ目小僧


角川春樹の句集「一つ目小僧」(1982)を開く。
森澄雄との対談「俳句の虚と実」が載っていて、おもしろく読んだ。
角川春樹の俳句は、「虚」だという。

 森  意味のない大きな意味というものがある。
 角川 たとえば、言葉を重ねていくだけで、意味がなくても、リズムが出て、
    句をおもしろくする。
 森  写生派には、実があっても、虚がないんだ。

簡単に終わるのは、仕方がない。
それでも角川春樹の句を知るものには、その立つ位置がわかるだろう。
「意味のない大きな意味」とはなんだろうか。
山本健吉はそれを、

 意味、観念、思想、写生を超えたもの。
 俳句、その器を満たすもの。
 折口信夫がかつて言った
 意味を超えた短歌の無意味のよさを俳句に転じると、
 その器を満たすものとして、
 俳とか虚、軽み、といったもの。

と説明している。

さて句集の名の「一つ目小僧」はといえば、
柳田国男によれば、
妖怪は神が零落した存在。
一つ目小僧は、山の神の零落した姿。
山ノ神は眇(すが)め。
たたら製鉄者にとっての天目一箇神。

  ぼたん鍋一つ目小僧の山ありぬ
  きさらぎや一つ目小僧山より来
  北風吹くや一つ目小僧蹤ひてくる


















2017年1月24日火曜日

堀江敏幸

ベコニア


小説家堀江敏幸のアートにまつわるエッセイ集「仰向けの言葉」(2015)を読む。
関心をもった理由は、まずは、上品なゆったりした本文組であり、
短い文章、短い思索を、くぎりながらつなげていっているからで、
小説家のエッセイの構造、つくりかたも知りたいと思ったからだった。

「レンズの半過去形で----ロベルト・ドアノーⅡ」は図録のために書いたものだろうか。
30個の短文でできている。アフォリズムのような短い思索もあった。
それぞれの短思索はというと、書き出しの文章が命題であり、謎掛けである。
そこから、その答え、結論を探している、らしい。

短思索はたとえば、次のように、

 「記憶はつねに現在形である」
 「ドアノーが写真を撮るに際して、影響を受けたのは、写真家でなく詩人である」
 「喜びは町のなかにある」
 「すべての出会いが、すべての偶然が重要なのだ」
 「ドアノーが郊外を撮影したのは、そこに愛があったからである」
 
印象的な言葉で始まっている。
あとはその思索を膨らませ結論まで、歩く。
なるほど、これも方法だ。
そして最後になって、自身の小説「郊外」に、
ドアノーとサンドロールの関係を書いたことを打ち明けている。

考えてみれば、書きたいことを素直に書いている。
多くのドアノーの挿話は、よく知られたものだろう。
控えめながら、好奇心を抱いた対象を細やかに描いている。
この速度感。
緩やかな頭の歩行の跡。
その跡はそのまま、いくつものアフォリズムに変容している。
アートを書くことは難しいと思う。
エッセイは、詩的なことばを織り交ぜ、積み重ねていく作業か。














2017年1月21日土曜日

偶 々


    偶 々

をしみなく きさらぎの靈(ひ)よ零(ふ)れ 百會へと
きさらぎの けふのひかりの まどかとは
たまゆらる きらきさらぎの かぜのうへ
たましひを おもひだしたり 春の雪
きさらぎの くれなゐに飛ぶ 摩利支天……西金砂山頂で

くれなゐの 息をはきたる 飛緋梅
きさらぎの ささやきに似し みづのおと
零りしくは くれなゐけぶる 春のなか
淡淡(あはあは)と 此のきさらぎの 雨の底
鹽少々 菜飯喰らはば 睦月去ぬ











2017年1月20日金曜日

朦朧体

キツネノマゴ科の花

ピクトリアリスム(写真の絵画主義)は、主要なテーマ。
ひびのはいったライカのズミルクスで、
軟焦点写真を撮るわたしは、
その「源流」を探している。
明治の画壇、日本美術院が端緒の、
ぼかしと濃淡の手法「朦朧体」はなぜ生まれたのか、が気になった。

江戸からの狩野派、浮世絵を見渡しても
それまでの日本美術は、
霧、雨、湿気、夕暮れや月の光を
線のないグラデーションで描くことはできなかった。
そのような意図がなかったのではなかろうか。

横山大観、菱田春草ら朦朧体の画風成立を描いた
佐藤志乃の「朦朧の時代」(2013)を読む。
明治の美術評論で、大変な労作だ。
いつかこのような美術史をめぐる論をつくりたい。

明治中期、留学から戻った外光派の黒田清輝ら白馬会。
関心の中心は、光と色彩だった。
刺激を受けた岡倉天心が、
「空気、光線を描く方法はないか」と周囲に語ったことがきっかけらしい。
横山大観と菱田春草らがこれに応える。

 空気や光線の表現に、空刷毛を使用して、
 ひとつの味わいを、呼び出すことに、成功した。
 朦朧派という罵倒嘲笑を受けることになったが。

と横山大観は証言をするのだけれど、
輪郭や色彩はきっぱりとした明瞭さはないものの、
空気、霧、靄、雨、光をとらえる、
自然観照のための新しい技術を生み出したということのようだ。

もちろん岡倉天心らは、
素朴な自然描写で満足するのではなく、
月という題でも、
月が描かれないで、月明かりを表現する、というような
直接表現を避けた抽象性、暗示性、象徴性を求めていったという。










 

2017年1月18日水曜日

黄金伝説

黄玉
塚本邦雄の歌集「水銀伝説」(1961)を読む。
賢者の石は、
水銀と硫黄と銀を反応させるとできるというが。
百首のうちに、錬金術な歌は、まったく出てこないが、
歌人山中智恵子に、ひそかに霊感を与えた歌集である。
跋にこうある。

 朱から生まれ
 鉄以外のすべてと化合する
 猛毒の金属。
 その名前を
 近代詩生誕の凶ぎょうしい
 栄光の伝説に冠した。

塚本のリズムを読みながら、
丹生を捜し歩いた山師たちへ思いを馳せつ、
奥常陸の黄金伝説、をも思っていた。
若尾 五雄の鉱山民俗学「黄金の百足」(1994)を重ねて読む。
得た結論は、

 妙見山を探すんだ。
 妙見山のふもとに、
 金の地名があるなら、
 沙金が採れる。

妙見山となずけられた山は金と連関しているということ。
妙見信仰は、北極星への信仰のこと。
神道では天之御中主神のこと。
陰陽道では、鎮宅霊符神のこと。
仏教では天部に属する妙見菩薩。
こうした信仰の対象になった山だ。

奥久慈を探す。
大子町に標高390㍍の妙見山がある。
茶の里公園から西の方角に、眺めることができる。
ふもとには金沢という地名があって、
中世以前より金を産出した。

常陸太田市最奥の旧里美村には三つの妙見山がある。
折橋の標高125㍍の妙見山。
小妻の標高653㍍のリチウム原石を産する妙見山は有名だ。
その奥の里川町には標高879.6㍍の妙見山。
県境には標高870.6㍍の三鈷室山。
おそらくは空海の飛行三鈷杵、を意図している。

黄金伝説はこの地にあった。











2017年1月16日月曜日

鉱物

自然金
意識が変わるのは山岳地帯でだ。
平野部ではかわらないかも知れない。
とっぴなことを書いているのは承知している。
修験者が、山を目指した理由を感じる。
わたしたちが、山を目指す理由がわかる。

「鉱物資源図関東甲信越」1998を眺めた。
関東平野には鉱物資源がない。
なんにも、ない。
一方、奥久慈を眺めると、




タングステン
硫黄
マンガン
が採れることが記されている。

阿武隈山地の最南端は、
古生代の先ジュラ紀の岩盤であって、
銅と銀が大量に埋まっている。
先ジュラ紀の岩盤はめずらしくて、群馬の武尊山付近まで飛んでしまう。

八溝山地は、ジュラ紀の岩盤であって、
数億年前に地上に隆起した。
金、マンガンが埋蔵されている。
那珂川をはさんで、
なだらかな山並みが広がる八溝の南方は
タングステン、ケイ石、マンガン、
そして城里町の山奥に錫高野の地名があるように
錫が埋まっている。

筑波山周辺は、古生代ジュラ紀、中生代白亜紀の岩盤で、
珪石(石英)、鉄が埋まっている。
益子では金が採れる。

名著「丹生の研究」は、硫化水銀鉱、辰砂(しんしゃ)、鉛丹をを求める旅だ。
しかし単なる朱の顔料のためだけに、旅をしたのだろうか。
何の暗喩だろうかと思っている。
まずは、そこから。

鉱物資源は山とともにある。
わたしたちが山を眺めるとき、
ほんとうは何を感じているのだろうか。

阿武隈山地の南縁の
隆起準平原の
奥久慈地方の産金について
「常陽芸文」(平成元年6月号)に
おもしろい記述を見つけた。

 金は、地底からマグマが運んでくる。
 石英脈に含まれている。
 だから、
 海底火山だった場所で、
 割れ目、断層が多いところでは見つかる。
 奥久慈には海底火山が隆起したところがある。
 金は出る。
 ただし渓底は、堆積物が多くて無理だろう。
 中腹の崖にある。

合言葉は、
海底火山をさがせ、だ。

それは
長福山と男体山。















2017年1月14日土曜日

古代緑地


古生物学者の井尻正二あての献呈自筆署名本、
1950年の吉田一穂第5詩集「羅甸薔薇」(ROSAE LATINAE)を
長い間、もてあましてきた。

詩句にひきつけられてきたものの、
理解できなかった。
野尻湖発掘の井尻正二との関係も気になっていた。

ところが、
堀江敏幸の「余りの風」(みすず書房)所収のエッセイ「詩胚を運ぶ鳥」で
展開されている吉田一穂論を読むことで、
ようやく理解へ一歩進んだ。
井尻と一穂は古代幻視を共有していた。

二十個の短い思索が続くこの論は、吉田一穂の詩語を
ひとつづつ読み解いていく形をとっている。
隠喩に満ちているところが、実は、心地よい。
隠喩のすべてを理解する必要など、ない。

吉田一穂の「古代緑地」。
それは「極」へいざなわれる本能の求める
約束の地、のことだった。

ポーラリゼーション。
約束の地である極北へと向かう
人間の体内の本能、を一穂はそう呼んだ。

十九世紀、独領ヘルゴラント島の灯台に
何万羽というわたり鳥が次々激突して横死した事件。
極北へと向かう「通り道」にできてしまった灯台が
鳥たちの命を奪った。

体内にある古代緑地を目指す本能。
どこを向けば、幸せになれるか。
ほんとうは知っているんだ。
鳥のように、昼間の星、を観る能力もちゃんとある。










2017年1月13日金曜日

詩的カノン


引き続き、
古今和歌集第八四番の
らむ
を考える。

紀友則は「み」音への愛好があったそうだ。
「み」「む」「も」「の」「よ」という
「やさしい字」を句末に置くと、
和歌らしいなだらかな「つづけよう」を生むものだと
「冷泉家和歌秘々口伝」に記されているそうだ。

山中桂一「和歌の詩学」(大修館)を読む。
ローマン・ヤーコブソンやフェルディナンド・ド・ソシュールの記号論を
消化した山中が、この歌を分析した。

正直なところ、
ちっとも本質に近づけないでいる俳句評論の数々に
辟易とした思いが芽生えていたところだった。
つまりは論が、
学問的な洗礼を受けているかいないかの違い。
たとえば、
「新古今で、日本詩歌は、象徴詩へと舵をきった」
とある俳人はさらりといったが、
とても重要なことを、
一行で終わりにするのか、俳人は、という思い。
軽くないか。

さて
この歌は、記号論から見ると、
10を超える形態的特長が
浮かび上がってくるそうだ。
そのなかでも
Fの頭韻があって、それが
和歌の意味合いを緻密にしているそうだ。

 Fisakata no
 Fikari nodokeki
 Faru no Fini
 Shizu gokoro naku
 Fana no tiru ramu

歌の生成過程を復元しようとする
山中の思考力にはついていけないが、
漸くひっかかってくれたのは、
F音の反復、繰り返し。
それは「詩的カノン」というもの。
この歌は
カノンが鳴り響いている、らしい。

 ひさかたの
 ひかりのどけき
 春の日に
 しづごころなく
 はなのちるらむ










2017年1月10日火曜日

らむ



 らむ。

見えないところで
現在起こりつつあることを推量する
助動詞。
眼前の事実を踏まえて使用されるときは
それが何か、と
原因や理由を推量する。

のどかな春の日だというのに
さゐさゐと落ち着かぬまま
はなが散り急ぐのは
宮坂静生の言うように
凶作のきざしであったか。

あるいは
はなに見放されたかのような淋しさに
身に引き付けて
個人としての紀が
これから身に起こる出来事を
どこかで予兆していたのか。

都に「やすらひ」といふ祭がある。
はなの散るころのゆうぐれになると
鬼が跋扈しはじめる。
それを追い払う祭だ。
鬼がまもなく山からやってくるのだ。
多田一臣のいう「花の狂気」が
市中に蔓延するを恐れているのだろうか。

はなが散ればこころは沈むだろう。
淋しさは避けられそうもない。
こころは受け入れることができないでいる。
季節の大きな巡りへの畏れ。
現代人よりもはるかに季節に影響を受けていたのだろうか。
むしろそうだ。
季節が変わる一閃の落下を感じることを、きっと季感と呼ぶ。

しづごころ。
それにしても
漢語の和訳か
大和言葉同士の造語か
どこか落ち着かない。

 ひさかたの
 ひかりのどけき
 春の日に
 しづごころなく
 はなのちるらむ











2017年1月9日月曜日

安水稔和

冬萌の檸檬

安水稔和の詩集「久遠」(2008)を読む。

あの大津波のころに一度住んだ、
松本市里山辺という扇状地の集落の中心の、
村社の入り口に石碑が二つあった。
ひとつは江戸時代の俳人の加舎白雄。
ひとつは江戸時代の本草学者、菅江真澄の碑。

菅江真澄は、三十歳で尾張国を出奔、
蝦夷をめざし、塩尻(洗馬村)に一年滞在した。
それで松本をしばしば歩いた。
この村社にも立ち寄った。
そんなことが 刻んであった。

菅江真澄は薬草の知識が豊かで、
総称「菅江真澄遊覧記」は旅日記と
多数のスケッチとでできている。
「外濱奇勝」では、安倍氏の遺跡を探り、
源義経の伝説を記述し、十三湖の風景を記録した。

蝦夷の地のおびただしい地誌だ。
安水の詩は、菅江の記録から触発されてできた。
詩のひとつひとつに、
菅江の文が添えられている。
菅江の歩行が、
安水の記憶の古層、
を呼び覚ましているようだ。

ただ、
詩と呼ぶべきかどうか。













2017年1月8日日曜日

秋元不死男


新興俳句の秋元不死男の「俳句入門」(1971)を読む。
きちんと考えている。

 俳句は単一へ復帰する精神である。
 俳句は沈黙を表現する精神である。
 俳句精神は十七音というはっきりした「場」で生活する精神である。
 俳人は十七音で完成する短詩をつくる詩人である。
 俳人は意味とひびきのからみあいを重視する。
 そのため言葉の物体性を認識するのが俳人である。
 俳人は、「物語ろう」とする根性を捨てる。ここに面目がある。
 季節現象に詩情を滾らすことを進める。
 季節の表現は詩人としての俳人が謳うに値する立派な仕事、である。

わたくしは、最後の、季感表現、がすべてだと思う。

表現方法については、
 
「単一化」
「中心把握」「印象定着」
「象徴化」
「単一化がきびしければ象徴になる」
「直叙」
「配合」

校正については、

 一句が作者の不本意な意味で受け取られることはないか
 中心をはっきりつかめているか
 用法に誤りはないか
 もっと美しい言葉はないか
 類句はあるか










2017年1月3日火曜日

葡萄の錬金術

山帰来


饗庭孝男訳ガストン・バシュラール「大地と休息の夢想」(1970 原1948)を読む。
塩尻の、酸化防止剤無添加の、コンコードの香り濃い赤ワインを含みながら、
最終章「錬金術師の葡萄酒と葡萄の樹」から、示唆の多い言葉を拾い上げてみた。

 自然の中で摘み取られた実体の錬金術的瞑想に従うとき
 われわれには、詩が遊戯ではなくて、
 自然の力であることを証するイマージュそのものの確信に到達する。

 ぶどう酒とはいったいなんだろう。
 天と土壌の融合である。
 それは1年を通して、黄道十二宮を通して、
 太陽の運行にしたがって作用する。

 もし、空に彗星が通れば、
 それはひとつの
 別の葡萄の収穫なのだ。 
 彗星年の葡萄酒は、
 そこから格別の味わいを得る。











2017年1月2日月曜日

偶 々

冬櫻

   無罪ノ佐竹氏ヲ滅亡セントハ僻事
   殊ニ金砂ハ日吉山王ノ垂迹東国鎮護ノ霊山ニテ
   千矛ヲ交エ戦場ト化ス穢ス大罪ノ狼藉ナリ。   
   忽チ多聞天摩利支天仏体現レ…         (金砂軍談)


二日早朝、
陸太田市の西金砂神社を参詣した。
標高4百㍍余。
祭神は、大己貴命と国常立命と少彦名命。
平安時代末より、否それよりもずっと前より、
九百年以上も前より、
常陸佐竹氏を護るかたが、ここにおられる。

  偶 々 
璞(あらたま)の 魄(ひかり)孵(か)へして あらたまる
緒(を)ふてまた あらたまる日の ひかりかな









2017年1月1日日曜日

抽斗の鍵

蠟梅黄葉

小川軽舟「魅了する詩型――現代俳句私論」(2004)を読む。
12回にわたって「俳句研究」に掲載した文をもとに、広げたものだ。
よく練られた考察が、わかりやすい文章で綴られている。
やはり、俳論を、どう展開すべきかという点から主に読む。

「作り手と読み手」の項。
作り手と読み手の関係の表現がふるっている。

 作られた俳句のイメージを、引き出しの中身とする。
 俳句は、その引き出しの鍵。
 読み手は、鍵を預かり、それを、読み手自身の引き出しを引こうとする。
 作り手のイメージがそのまま読み手に伝達されることではない。

わかりやすい比喩だ。

引き続き、イメージがどのように曲解、誤解、正解されていくかを書いている。
原石鼎「秋風や――」について、
小林恭二や虚子、山本健吉の理解の差異を丁寧に書いている。
それで、「作品は読み手ごとに完結する」と結論する。

さらに
「意味伝達からもっとも遠い働きが詩歌にはある」と前提したうえで、
「省略と連想の作用」について説明する。
その歴史的成果は、先鋭的成果は、新古今和歌集だとする。
俊成と定家によって、象徴詩の領域に踏み込んだ、と断言する。
ここで作り手と読み手の関係が提示される。
 
 俊成定家の理念を実現するには、読み手の高い水準が必要だった。
 散文的な意味を断ち、読み手の連想に期待し、
 歌の言葉に、素材に、象徴性を付与する。
 難解さは「達磨歌」と当時揶揄された。

ここから宗鑑を経て、芭蕉にいたってはじめて、
意味と理屈の優位から、言葉や素材の優位、へと舵が切られたと。
意味のつながりが緊密なら、連想の契機が消え、
余韻が損なわれていく、と。
結論はこうだ。

 俳句が意味内容の伝達を主とすれば、作られた時点で完成する。
 読み手がだれであろうと、内容は変わらない。
 連想と省略を主とする俳句は、そうではない。
 読み手に読まれて、読み手のイメージが成立しなければ、完結しない。

上記のように考察をしたあと、
坪内稔典の「俳人漱石」から子規と漱石の読み手と作り手の関係を書き、
最後に多田智満子と高橋睦郎の、同関係を採り上げて終わる。

このように分解してみると、
タイトルからしてやさしそうな内容と思われた項ではあったが、
省略と連想の作用、象徴性など本質的な考察が、
詩歌の歴史に沿って丁寧になされていて、
なんとも緻密な頭脳であることを示した。
油断できない俳論だ。かなわない。
わたくしは原石鼎のエピソードを少少知るにすぎなかった。
このほかのことは一切初見だった。
だが、
「省略と連想の作用」
「象徴」
「新古今の象徴性」などは
いずれも詩歌の大テーマだから、
これらをこなすだけでも、時間がほしい。

最後の多田智満子の遺句集成立の過程の描写は、
美しい文章だった。
多田の句の端正さにも驚かされた。
多田の詩、短歌にも要注目。