2017年2月25日土曜日

橄欖色

Helleborus(Christmas rose)

サンドロ・ボッティチェリの「春」の
ペリドット色の空や
女神の羅(うすもの)の微かな橄欖色に
惹きつけられたあと
同じ色を、
本郷の道具屋の店先の、
硝子の器の鈍い光の中に
ふたたび見出したことを書いているのは、
森茉莉のエッセイ集「私の美の世界」(森茉莉全集)の
「夢を買う話」だ。

森茉莉の、死ぬまで一人で、
引きこもるように暮らした家は、
うつくしいモノであふれた、
ひとつのうつくしい小宇宙だったそうだが、
森茉莉がどのようにモノと出合い、
執着し、さらにどのように40字×30行のエッセイで、綴り続けたかは、
興味深い学びだ。

さりげない話であれ、
美の端緒は、
いろんなところに落ちている。
落ちている美にたくさん気づく人生は、
実は幸福なのだ。
作業は、落ちている美を拾い、言葉に転換することだ。

ペリドットという隕石の粉が顔料になって、
サンドロの空の色に、
うつくしいうすものの橄欖色に、
生まれ変わっている宇宙の働きを
森茉莉は敏感に察知し、
受容している、のかもしれなかった。

森茉莉は「硝子工房の一室」でも、
半透明の薄緑色、に触れている。

 綺麗な壜を、
 窗際に置いて
 凝と見てみなさい。
 半透明な薄緑色の中に、
 何かが見えるでしょう。











2017年2月23日木曜日

2017年2月19日日曜日

吉増剛造「植物王国」

偕楽園
昔とちがって、報酬があるわけではないのに
毎日のように写真を撮り、短い文章を書いているのは、
撮ること、書くことは、明らかに、わたしという存在の中に
印象が刻印され、次の認識の養分になるからだ。
そして、時間もない。

詩人吉増剛造の、詩集「王国」(1973)の、
散文詩「植物王国---秋成への木霊」を読む。
何の前提の知識もない儘、
詩のエッセンスを伝えるのはとても難しいから、
聞き書きノヲトのように、書いてみた。

吉増に、古代から、電話がかかってきたそうだ。
ちょうど、木の国についての詞(ことば)を書いていたときに。
まぼろしの、木の国に関する言葉、を蒐集していたとき、だったそうだ。
また上田秋成の「血かたびら」を読むたびに、
古代へのあこがれが、やっぱり突き上げてくるんだそうだ。
ふたたび、突然、古道を歩く、自分がいるそうだ。

処女がたくさん見えるというのだ。
どうしてかというと、
古代の送電線、があるらしく、
その黄金回路に波長を合わせると、
どんどん激しく強い声が聞こえてくるというのだ。
木霊は、特殊な狂人の耳にしか届かない、そうだ。
古代から電話がかかってきたのは、三回だったそうだ。

理解のために、重ねて、
吉増の慶應義塾での講義録、
「詩学講義-無限のエコー」(2012)を読むのだが、
吉増がキャッチしているモノに、
たくさんのひとびとがひきつけられていることに気づく。

同詩集にも、講義録にも、頻繁に出現する、ある姿勢がある。
たとえば、

 わたしたちは別種の耳の澄まし方の小道を歩きはじめている…
 中也さんという、他界から聞こえてくる少し奇妙な声…
 別の耳の発生…というふうにわたしは無意識に考えていた…
 ニーチェの耳で聞くとと、化石湖の面影や声が波紋を広げながら聞こえてくるのだと…
 晶子の声はすぐ傍らに近づかなければ聞こえない細い声だった…
 津嘯(ツナミ)、このルビの精妙が折口信夫だ…
 芭蕉は聞く耳がいいんですよ。国文学ではだれもいわないけれど…
  わたしたちは別種の耳の澄まし方の小道を歩きはじめている…

吉増は、いつも耳を澄ましている、のだ。
聞こえてくるモノを言葉に変換している、のだ。






















2017年2月18日土曜日

偶 々


 偶 々

春の種子 仕舞へる儘の 銀棗
震活(ふら)震活と 威醸移現(かむろみ)の梅 馨の動く
天真積虚耀(あまつそら) うちなるはるも 垂威真晴活(たかまぱる)
おほひなる 霊垂育(ひたち)の珠(たま)の 春來たり
攘(はら)へ攘へ 春塊(はるかたまり)は 近づきたり
爽爽と夷を攘ふ哉 震活奇育実虚結岐(ぶるくちみそゆき)
梅の馨の 戸覆(とのを)開切る 稗田阿禮
とどまれば 戸覆(とのを)開きる 梅馨かな
熟蝦夷 麁蝦夷(あらえびす)偕(とも) 春の酒
熟蝦夷(にぎえびす) おほひなる春 在活(わたら)へる















2017年2月15日水曜日

工藤直子


詩人で童話作家の工藤直子さんが、
深夜のラジオのインタビューに答えているのを、
聴いた。

 自分のおこづかい程度で、てづくり、でした。

広告会社を辞めたばかりの三十歳半ばのころから、
ぽつぽつと、5冊の詩集をつくった。
書庫で探してみる。
毎回三百部。
本文はざら紙で、表紙は厚紙。
方形より少し横長。
フォントは32級ぐらいの明朝体。
心に入り込む大きさなのだ。たぶん。

自分ひとりで、
書いて、
作っていたこと、
これが、大切なことだと思う。

詩人になろうだとか、
作家になろうだとか、考えたこともなかったが、
十年後の五十歳で、日本児童文学者協会新人賞を受賞した。

ぽつぽつ、こつこつ。
詩集をてづくりしている時間も、
決して楽しいことばかりではなかった。
だが、工藤さんは、まっとうした。

さて、インタビュー後半、
心理学者の河合隼雄と面談したときのエピソード。
本気でユングを、大学で学ぼうとしていたそうだ。
それで、思い切って伝えたところ、
「やめなはれ、あんたは、書いてバランスとってるやないか」
と言われたそうだ。

 書いて
 バランスとっている、
 やないか。

詩や童話を書く作業を続けているので、
心の均衡がたもたれている、
という意味なのだろうか。

内なるものを、
外に出す方法を持っているから、
あなたのこころは、大丈夫だよ、という意味だったのだろうか。











2017年2月13日月曜日

弥生語


弘道館

 太初に言葉ありき。言葉は神とともにありき。

という文語訳聖書ヨハネ傳の冒頭。

 観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空

という般若波羅蜜多心経の冒頭。

このふたつが、弥生語の原典、
大阪大学所蔵の香取神宮「弓前文書」原文を読んだとき、
同時に頭の中をよぎった。
真理のようなもの、自然哲学のようなものだ。

弓前文書は紀元六百年過ぎに出来た古事記の種本らしい。
古事記、日本書紀、古語拾遺などよりはるか前の日本語が、
それはすでに失われてしまった古語かも知れぬが、
確かに眠っている。同時に現代語を規定もしている。
音に、輸入まもない漢字があてられている。
現代語訳は池田秀穂さん。

 ソラピカ(虚耀日威)は、
 宇宙から降り注ぐちから、の意味だ。

 ピナツ(日成鋭)は、
 稲妻だ。

 スナチ(澄成育)は、
 風の流れだ。

 ズビレ(澄霊舞)は、
 水という媒体の霊力だ。

言葉の秘密を知るためにどこまで遡るのか。
どの深みから言葉をつむげばいいのか。
ひたすらひたすら、潜行する。










2017年2月12日日曜日

弓前文書


鹿島支局に2年赴任していた。
東京-筑波山-神宮のトライアングルを意識して業務の日々を過ごした。
鹿島神宮におわす神々とはいったいだれなのか、
実はよくわからないそうだ。
結論へゆきついた人はひとりもいない。
古代弥生語から解読をする研究者がいた

元鹿島神宮禰宜、萩原継男さんの
神道研究「古事記、祓え言葉の謎を解く」(叢文社)を読む。
7世紀ごろできた香取神宮神官による「弓前(ゆま)文書」は、
弥生の言葉から、神々の名前を紐解く。
また同書の中の「神文」こそは、古事記の原点とする推論にくわえ、
「祓詞(はらえことば)」は弓前文書が種本らしいことも。

東から上る朝日のことを、弥生語でピタチといった。
ピは、命の源の精気を
タは 限りない
チは エネルギーの流れ。
これが、常陸の語源だそうだ。

鹿島神宮と香取神宮は、
その朝日の力を鏡のように、
全国へ照り返えす役割を担ったそうだ。
神宮の春祭「鹿島立ち」の本来の意味だ。
東男の防人へ旅立つ前途を祈念したものではなかった。










2017年2月5日日曜日

偶 々


きさらぎの 山の奥なる 貴種流離譚
はるくれなゐ 黄泉比良坂 より來たる
無言なる 言靈もあり 花冷へて
はるのちから 山の童と 來たるらむ
山童の ひとりはゐたる 雛座敷











2017年2月4日土曜日

Lumière


立春。
光、リュミエール、について、
思索を支える言葉を書庫や図書館で探している。
時間はない。
言葉と出合うために、言葉の蒐集のために、
書庫をうろつく変人さが、わたくしにはふさわしい。

前田富士男記念論文集「色彩から見る近代美術」は、
絵画の光について、あるいは自然の中の光について、教えてくれるものが多い。
それぞれの論者の発見、をわたくしはいただくことになる。
大木麻利子の論考「絵画の内容としての「気分」と色彩」。
 
 世界観が大きく変動する時代の美術には
 共通の内容として、「気分」が認められ、
 その本質は、遠視的視覚と休息である。

と書いていた。
ものを輪郭ではなくて、表面の明暗、周囲との融合を観照すること。
視覚世界を、集合体として、ひとつのまとまりとして捉える視覚だという。
これが「気分」の産出にとって本質的要素なのだと。
十九世紀半ばの変化がここにつづられている。
「気分」は見るものの「魂の状態」と響き合う。

 輪郭というものはなく、モノは溶け合っているのだ。

このゲーテの色彩論の言葉と同じ認識の扉が始まっていたのだ。
ふたたび、光、リュミエール、について、
アンリ・カルチエ・ブレッソンの有名な言葉。

  よいリュミエールになった。写真を撮りに外へ出よう

ブレッソンと同じ、ライカM3とズミルクス50mmF1.4が、手元にある。
ライカが春の光のなかで、
銀色に光っている。











2017年2月2日木曜日

J・M・W・ターナー


美術評論を読むことは、楽しい。
進めているピクトリアリスム(写真の絵画主義)論のためにも、
雑誌や書籍からピックアップし、
いくつもの考えの重なりとの出合いを楽しんでいる。

わたくしは、二〇歳代に、「人智学的絵画療法」を少少学んだ。
ドイツ帰りの加藤庸子さんや吉沢明子さんが開いていたワークショップに参加した。
人智学的絵画はゲーテの色彩論や形態論が、根底にある。
「朦朧体」を調べているうちに、
19世紀半ばに、ゲーテの色彩論が翻訳輸入されたが、
朦朧体、ひいてはその後の日本美術にとって、無縁ではなかったことを知った。

前田富士男は、
ゲーテの「女性像」こそは、ゴヤの「黒い絵」とともに、
近代絵画の幕開けを告げる作品以外のなにものでもない、と書いている。
色彩表現の変容、構造変換のさきがけであったという。

加藤明子の短い論考「J・M・W・ターナーの色彩研究」は、
記念論文集「色彩からみる近代美術」(三元社)の中のひとつだが、
数十の仏語文献を猟捕したうえで、
ゲーテの色彩論とターナーのあの光との、交錯を、描いていて、
結構な盲点を突いた、よい論であると思う。

ターナー晩年の「光と色彩(ゲーテの理論)----洪水の翌朝」は、
ゲーテの色彩論、つまりは霊的な光を、受け入れて、制作したのだと教えてくれた。
朦朧体が生まれる大観や春草の背景には多数の朦朧派の努力があったように、
ターナーの背景の画家たちにもアリストテレス派、反ニュートン派の考え方が広がっていた。

 すべての色彩は、光のなかにある
 相対するものの、葛藤と融合から生まれてくる。

と考えるターナー。

光は闇から生まれるのだから、
闇から影、シェード、反射、屈折を経て光になるようすを表現した。
光の象徴、寓意は黄色。白は光の代替物とした。
この作品は、光の再来、霊の再来が描かれている。

この論考で気になったのは、
第1回万博の会場のひとつ水晶宮で、
フィールドの色彩論に再び注目が集まった、という記述。
それは改めて。