2017年6月29日木曜日

周 縁


sage
引き続き、今橋映子を読む。
「パリ写真の世紀」(白水社)の中のウジェーヌ・アジェというパリの写真家について。
詩人=屑屋、という視点に驚く。正しいかもしれない。
「古きパリ」を取り続けたアジェの、撮り続けた本当の理由を垣間見る。
いくつか抜き出してみる。

 周縁的人間。
 屑屋(シフォニエ)。
 浮浪者(クロシャール)。
 パリという都市を撮る写真家が惹きつけられてきた事実を確認する。
 それら周縁のひとびとの、市民社会からの神話的意味を浮かび上がらせる。

 「ボヘミアン」「屑屋」「浮浪者」など貧しきものをめぐる物語が神格化してゆく。
 世を忍ぶ哲学者として、表象されていく。

 市民社会が無意識下へと抑圧排除したドエッペルゲンガー。(赤坂憲雄)

 詩人たちは、社会の屑を街頭に見つけ、その屑にヒロイックな題材を見る。

 詩人=屑屋を継承したのは、ヲルター・ベンヤミンだった。

 ベンヤミンは、時間軸に沿った歴史の進化的過程を拒否し、
 歴史の周縁にある屑、ボロを収集し、モンタージュし、過去を覚醒させる。

 スーザン・ソンダクは、ベンヤミンそのものが写真家の活動の昇華した形、と書く。

 パリ写真家の中に見えるシュルレアリスム。
 それは、名所旧跡のトポグラフィーを転覆させ、
 街路の細部、断片など歴史の屑を拾い上げるかれらのしぐさこそ、
 詩人=屑屋を、正統に継承するものである。

 市民社会の外部にあって、街路の神秘を吊り上げる周縁者の姿、
 それはつまり、彼らパリ写真家のセルフポートレイトにほかならなかった。

 写真家とその消費者がたどるのは、
 アジェの撮った、見落とされがちな美だ。
 安普請の乗り物、飾り窓、がらくた、はんぱもの、廃屋。
 
 つまり、屑拾いの足跡を探るのである。
 ボードレールのような近代詩人の象徴に使ったものだった。
 
周縁へ追いやられることによって、次第に育っていった「過去」かもしれない。










2017年6月24日土曜日

ブラッサイ

護国神社


シュルレアリスムの小さな、しかし重要な概念のひとつを知る。今橋映子の「ブラッサイ パリの越境者」(白水社)を読む。たいへんなボリュームの、写真論だ。18葉のブラッサイの写真と背後の思想を300頁を費やして分析し、解き明かしている。海外の文献書誌すらも整理できているのは、国の研究助成があったからかもしれないが、明晰さは見事だ。写真と写真集の、文章と評論の、つくりかたを学べるのだ。

イマージュ5「巧まざる彫刻」は、丸められた紙の切符を半逆光で撮影したモノクロの1枚について書かれている。シュルレアリスムの雑誌「ミニトール」に載せたものだが、ピカソの作品撮影の仕事のさなかに、アンドレ・ブルトンに始まる「オブジェ」という概念に目覚めていく様子が詳らかにされていく。たった1葉の背後の思想と著名な美術家、作歌との交流を、よくもまあ、切り取ることができたものだ。

瀧口修造はオブジェ概念を、自然、未開人、数学的、発見された、災害、規制の、動く、象徴機能の、の8つに分類したが、このうち、「モノが本来の用途から離れて、別の文脈に放り込まれることによって、アートに変化する」は、象徴機能としてのオブジェの効果を示していて、この1葉はそのような意図で撮影されたものだと、ようやく理解できた。

 切符というきわめて卑近な、日常事物が、本来の文脈を離れて取り出され、
 驚きや違和感を主体に与える。

日常の事物に手を加えて、別の相貌を見せる瞬間を、ブラッサイは彫刻と呼んだ。繰り返すと、モノが日常的な文脈を離れて、別の文脈に放り込まれた瞬間に見せる相貌は、シュルレアリスムの中では「デイズマン」の美学と呼ぶそうだ。

 もっとも日常的な現実から出発して超現実にいたる。
 これが、写真における唯一の目標、関心、実験だった。
 このかくれたものをあらわにする可能性、
 一見しただけでは理解できないものを解読できる可能性が、
 写真という表現手段には、ある。

本来の用途から外れたモノに感じる魅力。

 ポエジーは必ずしも詩篇の中にあるわけではないこと。
 街頭でも、壁の上でも、どこででも、ポエジーに出合うことはできる。

というブラッサイの言葉もあった。

今橋映子の仕事は、写真家ではなく、
美術史の実証研究を基礎にしている。
前著「パリ写真の世紀」で書いているが、
写真を解読する要素として挙げているのは、
「言葉と写真」全般にかかわる問題系---だそうだ。
それは、
グラフ誌におけるテクストと映像。
写真集という物語。
写真集における詩とイマージュ。
写真の中の文字。
写真を読む行為。
「決定的瞬間」という言説。
言葉で撮る写真。

写真研究は、まだ手付かずな「庭」ばかりだという。


















2017年6月18日日曜日

與へられる聲

桂並木

「擬人法」はギリシャ詩学では、活喩法といい、Prosopopoeiaとつづる。
神々を天上から降ろし、
死者をよみがえらせ、
国に声を与えるための修辞。

まずは、このことを念頭に置きたい。

日本の詩歌俳での擬人法は、
人間以外の生命体に、人間であるかのような表現をさせること、だそうだ。
主役とてし意思を持つのが人間以外で、
明瞭な意思と行動があるかのように描いて、自然の季節感、循環する季節感を表現する。

 底のない桶こけ歩行(ありく)野分哉    
 こもり居て雨うたがふや蝸牛
 唐きびのおどろき安し秋の風    与謝蕪村
 チューリップ喜びだけを持つてゐる 細見綾子
 海に出て木枯帰るところなし    山口誓子

歌人永田和宏はしかし、「作歌のヒント」の中で、
こと擬人法に関しては、ほとんどが失敗する、と書いている。
その理由は、見立て、思い入れが稚拙だからだそうだ。
歌人土屋文明もまた、初歩低級、と切り捨てているようだ。
俳人の飯田龍太もまた、「擬人法をやすやすとすることが技巧の弊害になる」と書き、
作法に無意識的すぎることをいさめている。

だが、上記の句群は、共感を得られているから残っているのであるから、
擬人法を否定するわけにはいかない。
擬人法の根幹には、アニミズムという心性があるからだ。
歌人馬場あき子は、
「人になずらえる場面では、対象に、肉体が与えられることで、実感が濃くなる」と書く。

最初に戻れば、「死者をよみがえらせ、国に声を与えるための修辞」であるなら、
物言わぬ物たちの意思と行為に、声が与えられる、ことを意味する。
詩歌俳は、物言わぬ物たちへ、声を与える行為でもある。












2017年6月17日土曜日

偶 々

紅 花
   偶 々

つえぺりんも 春綿雲も 壱浬(のつと)
あんぱんや 古道具屋の 皿のうへ
抽斗が 微妙に開いて 聖五月
半分は 空想と書屋 六月の耕衣
靑き光 收(しま)ひ六月(ろくぐあつ) 盡きたるか
りら冷への 午後に心音 重ぬれば
人型の ろぼつとなづる 南風
そひやかな せえらあ服に 夏隱る
ていふあにいの 色に小夏(せうか)は 來たりけり
ぽうぷらも 鈴懸も鳴る 六月哉
水に燃ゆ   蛍は知るや  其の速き
あどるふが  さんざめきたり 青葉闇
梅雨寒の 粥に落ちたる 銀の匙
昵懇は 入魂とも記し  燕
ぽうぷらは さらさらてふ聲  與へらる
あきおもふ 面念思憶懐想惟 いづれにて















2017年6月3日土曜日

摩訶止観


6月3日午後6時の短い逆光の時間に千波湖畔で


歌人山中智恵子の「明月記を読む」(1997)に、
歌人藤原定家が、死ぬ十年前の1229年秋に、
九ヶ月におよんだ「摩訶止観」十巻の筆写を終えたことが記されている。
出家する3年前、小倉色紙が生まれる7年前だ。

天台止観を構成する、
三種止観(円頓止観・漸次止観・不定止観)と、
四種三昧(常行三昧・常坐三昧・半行半坐三昧・非行非坐三昧)と。
機縁ノ然ラシムルカ…と、定家は明月記に記し、何より喜びを感じた。

書く、ということは、宗教的行為だ。
宇宙の真理を伝える書の、書写という行為で、
たましいが、聖性を帯びる。
だから、やればいい。

「高僧伝」「弘賛法華伝」「華厳経伝記」などには、
書写が、奇跡を発現し、功徳による救済があるという。
平安、鎌倉のひとびとの精神世界だけでなく、
現代人にとっても、
それはたましいに落ち着きをもたらす。

筆写を終えたころ、都の上空には、
奇星が出現し、定家は新星出現の古記録を、調べた。
同じころ、夏梨、柑子、真木椿、御山空木、白萩などが贈られ、
庭に植えた。
同じころ、定家の家の前の通りは、群盗であふれ、
死体が積み重なった。


















2017年6月2日金曜日

移転しました。

窓からは緑の森ばかり

書物などを入れる前の事務所空間


6月から、緑町に移転しました。
樹木を見下ろせる高い所です。
よい風が吹き抜けています。